過去を脱ぎ捨て、現代を纏う。

イキったタイトルになったけど、これは山本耀司情熱大陸の中でナレーションされてた言葉です。

ここからは知らない人用にwikiにあるようなことを書いてくんで、興味無い人はとばして大丈夫です。

 

んで知らない人のために言っておくと山本耀司yohji yamamotoっていう日本のファッションブランドのデザイナーです。

1943年10月3日生まれ76歳、東京の新宿出身で、父親を戦争で亡くされてて、オーダーメイドの洋装店を営む母親に育てられ、慶応大学法学部卒業後、文化服装学院に入学して、在学中に装苑賞(めっちゃ有名な雑誌が新人デザイナーを対象としてるめっちゃ名誉ある賞)とかを受賞してます。

それで元々1972年にY'sっていう会社を設立してレディースの服を作っていて、1981年にYohji Yamamotoっていうハイエンドラインがスタートしました。

(このラインってなんやねんって話なんですけど、大手のブランドではよくあるんですが、そのブランドが手がけるものを細分化されたものをラインって呼ぶって認識で大丈夫だと思います。ざっくりいえばターゲットの性別だったり、年齢層だったりを絞って、そのターゲットに向かった商品を展開する時に新しくブランドを作るみたいな感じですかね。分かりやすく言えば、すかいらーくグループがガストやったり、バーミヤンやったりする感じです。

だから元々は女性用だったけど、今では男性用にも服作ってるよ!!!ってことです。)

yohjiって今でこそ結構男性が着てるイメージあるけど元々はレディースラインからスタートしてます。今ではadidasと共同でやってるY-3とかは僕ら世代の若者にも人気があるし、最近のビッグシルエットが流行ったりとかの影響もあってyohjiを着てる人もよく見かけます。

ブランドの特徴としてはモノトーンで、黒を基調としたアイテムが多いです。かなり大きめのシルエットや、アシンメトリーであったりっていうのも大きな特徴だと思います。

1981年にヨウジとこれまた有名なコムデギャルソンがパリコレでデビューしました。今でこそビッグシルエットやアシンメトリー、ダメージ加工、モノトーンのデザインはファッションとして成立していますが、当時のヨーロッパでは体のラインに沿った色鮮やかな服が主流であり、タブーとされていた黒を全面に押し出すデザインは「黒の衝撃」と言われ世界のファッション業界に大きなインパクトを与えたとされています。

かの有名なマルジェラやジョン・ガリアーノ山本耀司とコムデギャルソンの川久保玲に影響を受けたと口にしているほどです。

 

まぁここからが本題で、なんで急にこんな記事を書いたかと言うと、とあるyoutubeの違法アップロードがきっかけになりました。

 

https://youtu.be/TINmAOTA6VM

 

冒頭にも言ったけどこれが山本耀司情熱大陸です。僕はすごく感銘を受けました。

元々yohji自体はめちゃめちゃ好きです。

理由は父親がめちゃめちゃ好きだったから。

家に真っ黒の変な形のコートとかがあって、中学の時くらいからすごく憧れがあったからです。

 

僕が惹かれたのは紛れもなくそのデザインでした。冒頭に書いた通り既成概念を打ち壊すようなデザインが多くの人を魅了するんだと思います。

今回この映像を見て再認識したことはデザインがいいことはもちろん、ただ普通に"ファッション"を楽しむなら必要のないことかも知れないですが、そういうデザインに行き着いたバックグラウンド、考え、大げさに言えば思想や哲学みたいなものを知れば知るほどヨウジだけじゃなくて、そのブランドのアイテムに愛着が湧いたり、更にかっこよく思えたり、楽しめると思ってて、そういう部分でヨウジやギャルソンといった時代を作ってきたブランドっていうのはそういう部分が確立されているから多くの人を魅了すると思ってます。

ここからは自己解釈も含め、ヨウジのデザインのバックグラウンドについて語っていきたいなと思います。

ヨウジの作品は反骨思想、アンチ、と評されたりします。冒頭に説明したように、当時の主流を打ち壊したからこそ世界でも認められるようなブランドになったと思います。インタビューの中で慶応大学に通ってる頃に、周りの学生がお金持ちが多く自分と格差を感じた、生まれながらに格差があることなど、社会に当然のように存在する不平等さを身をもって感じてそれに意義を唱えるように周りの学生と同じようなことじゃなく、自分自身の道を切り開いた。彼の生き様が社会に対するアンチテーゼになっているなと感じました。

 

また彼は"伝えたいことを言葉で済ませられるなら言葉にすればいい、言葉に出来ない人が表現活動に自分の気持ちを託す"と言っていて、彼自身が感じたその不平等に対する反抗をデザインとして服に落とし込んでいるのだなと僕は思います。

リンクの貼った情熱大陸を見てもらえば分かると思うんですが、彼は自分自身のポジションに常に危機感を抱いて、ストイックに表現活動に取り組んでいることが伺えました。日本を代表するようなブランドになってもまだなお、自分自身を疑える懐疑心、主流を打ち壊してきた自身も通ったストリートの精神を持つ若い人々に対して憧れや、大御所の大作家が蹴落とされるのは常にストリートのパワーという考えを持っているのも素敵で、そこがyohjiというブランドが一切古くならない要因なんだろうなと思います。

 

"ものづくりは壊すことだと、今美しいもの、今流行のもの、綺麗だとか言われるものに対して、反対意見を言うことだ、それがものの作り手の役目だ"

 

山本耀司自身40年以上自分の発言を服で表現し続けている、この紛れもない事実がデザインに表れ、今でも人々の心を掴むんだろうなと思います。

 

タイトルにもある

過去を脱ぎ捨て、現代を纏う。

ヨウジの服にはこの言葉がとてもふさわしいなと思うし、本人が自分に対しても常に懐疑心を持ち、アンチすることで、古くならない、いつの時代にも通用する確固たるデザインが生まれているんだなと思います。

 

僕自身はyohjiの服を買ったことは無いです。

でも高校の時父親からY's for men(今はもうなくなったヨウジのメンズライン)のTシャツを貰って愛用してます。

自分でしっかり稼げるようになったら袖を通したいなと思います。

シンプルに60近い父親が20代、30代の頃に着てた服が2019年の今着ても違和感がない、かっこいいって事実が、ヨウジの服の全てを物語ってるなと思います。本当にすごいことだなーと思います。

 

近年ファッションの主流はファストファッションですよね。安価で大量に買える。〇Uやユ〇クロなんかがそうです。

結論から言うと僕はファストファッションを否定するつもりは全くないです。僕自身利用することもありますし、服に興味がある、無いに関わらず誰にでも手の届くもので、便利なものだなと思います。

ファストファッションは商業目的で、大衆をターゲットとした大量生産、大量消費のシステムを生み出しました。ただ安価で買えるのには、低いコストで働く人がいたり、社会全体として経済状況の悪化、賃金の低下といった現状があるというマイナスな側面もあります。

またファッション業界で働く、職人技とも言えるそれを破壊する行為に近しい事実もあります。ただこれに関しては、淘汰されないように売上を伸ばせるブランドにしろという意見もあると思うし、一理あると思います。ただ現状の経済状況なども踏まえて難しい問題であると思うし、ファストファッションの台頭がクラフトマンシップを侵したということはあるんじゃないかなと思ってます。

流行を追って、大衆に安価で提供するそれは服の大量消費を生み出して、服自体の価値を下げていくことも確かだなと思います。

3年前に流行った服は何十年後まで流行る事はないし、そもそも安価な製品は長期間の保管は厳しいです。そういう意味で使い捨ての服が増えてるんだなと思います。

そういう部分に目を向けると、服が好きだなとか、興味があるという身としては、この今の在り方に疑問を持つべきだと思うし、もっと深く学んで考えていきたいと思います。

 

世の中にはファッションが好きって人は多くいて、SNSを除けば同じような髪型、同じような格好、同じようなプロフィールを目にします。

でもそれに対して自分が感じてた違和感があって、その正体は流行に乗るとか、ファストファッションでいっぱい服を持ってるとか、何も分からずにブランド品を身につけるとか、現代の「ファッショを着る」行為をしている人間が多すぎることでした。「ファッションを着る」のは服が好きなんじゃなくて、服を着てる自分を見て欲しいだけ。これ自体が悪いのでなく、これは本当に服を好きな人間がすることなのかと疑問を抱くと言う感じです。ただの消費行動にしか見えないです。あと単純にインスタとかでイキってて嫌い。チヤホヤされたいだけに見える。

みんなと同じもの、同じことをすることになんの違和感も持たないそんな人間が自己顕示を振りまくなよっていう感覚もある。服だけの話じゃなくて、考え方も含めた話。

逆にみんなと違うことだけをステータスにしようとする浅はかさも見え透いててダサいなって感じたりします。

 

服を着ることは、その服、デザインに込められてる意味を考えたり、そのブランドや服の持つ思想を身に纏うこと、また服を着ることで自身を表現する一種の手段なのかなと自分は思います。つまりなんの考えもないのに、服を着ることでオシャレとか、イケてるなんてことは無い、世間が認めたとしても俺は認めない。ファッションは表現活動です。1着1着を選ぶこと、その選択すらも楽しめるし、買わなくても鑑賞すること、テーマや、何からから着想を得たデザインなのか知ることが楽しいと感じれる感覚があるかないかです。つまり服が好きなのであって、「着飾った自分」を見て欲しいで終わるのは作り手に対して失礼なのでは?と感じます。もちろん服だから着て、楽しむだけでいいし、それが当然というのが一般的なことかもしれないし、こっちがどんな楽しみ方をしたところでデザインした本人には伝わらないし、購買することでしか利益を与えることはできないんですけど、服を楽しむっていう観点では自分の感覚は間違ってないのかなと思います。

 

ここまで色々書いたけど、俺はyohji yamamotoが思想を含めて好きだし、これから着れるように、似合うような生き方をしたいって思う。yohjiに関わらず、好きな服に対して、ちゃんと作り手の表現を汲んだ上で着たい。ってことです。

 

後半のファストファッション云々は、確かに問題やと思うけど、知らん、勝手にしろとも思う。俺の感覚ではダサし、俺はそういう部分にしっかり違和感持つし、何も考えてない真似事をファッションってかこつけてそれで自己顕示を振りまくなみっともない。とも思う。

 

目つぶってろ、見るな、全部否定しろ。

 

最後まで読んでくれた人いるかな、ありがとう。また好きなブランドについてかけたら良いなって思ってます。