他人の不幸の上の幸福。

人の幸せが人の不幸のうえに成り立つ。みたいなことが結構謳われますよね。この言葉が実際指してるのは、具体的に言えば発展途上国で低賃金で働かされてる人がいるおかげで、先進国に住む人々が安価にそれらの人が作り出した何かを享受できるみたいなことやと勝手に思ってます。つまり得をするやつがいれば、その得は誰かの損の上に成り立ってるってことが言いたんやろなっていう勝手な解釈です。でもまぁ実際幸福と不幸が常に表裏一体みたいな風には思ってなくて、というかそんなことを言い出したら人間が生きてること自体が他の生物へ不利益を及ぼしてるんだから生きてるだけで幸せで生きてるだけで不幸を生み出してるみたいなことになりかねないから、結局は割り切らないと仕方ないというか、どこをどうやって切り取って見るかだけの話で、人は人に都合よくしか物事を考えられないし、他の生物もきっとそうで、なんなら理性を持つ人間の方が他の生物への配慮はもしかしたらできてるんかもしれんし、生きてるだけで幸せでそれだけで不幸を生んでるなんて考え方はあまりにも悲観的だなと思います。でもそんな風に捉えられる自分でも、誰かが幸福になることを純粋に喜べない瞬間や相手がいて、というか醜い話ですが、特定の誰かが幸福になっていたり、自分が不幸を実感している瞬間の他者の幸福が許せなくなったりして、自分の器の狭さを実感して、不幸を勘違いして、勝手に不幸になっていくみたいなことが多々あります。でも多分きっとそいつも幸福なんじゃなくて、俺が勝手にそいつは幸せだと思ってるだけで、俺は不幸なんじゃなくて、勝手に不幸だと思い込んでるだけで、つまり何が言いたいかって言うと、不幸の上に成り立つ幸福なんてのは実際のところ、存在しなくて、勝手に不幸だと思い込んでるやつが勝手にそう言ってるだけなんじゃないかとも思うわけです。つまりは許せれば幸福になれずとも不幸だと勘違いすることはなくなるんじゃないかというお話でした。読み返したら絶対何書いてるかわからんと思う。