ヤマアラシのジレンマ

Googleで検索。ジレンマとは。俗に、相反する二つの事の板ばさみになって、どちらとも決めかねる状態。タイトルはエヴァンゲリオンから拝借。本来の意味を正しく認識してないけど、エヴァでは主人公のシンジが人と関わりたいと思う反面、傷つくたくないから心を閉ざして人と距離を置くシーンでミサトがその状態を表すのに使ってたワード。唐突に今まで記した記事と言うにはあまりに稚拙な文章を非公開にした。事の発端は自分が主張してることや、思うことが他人にとっては間違いだと感じたり、否定的な捉え方をされることを考えたから。今まで自分が自分の主義主張を唱えてきたのは、受信するほとんどの人間が自分にとっていわゆるどうでもいい人間だったから。その人達にどう思われようが、自分にとってはどうでもよかったからということに気付いた。そういうどうでもいい人達を対象にすれば自分を主張できるのに、いざ自分が好きな人、信頼する人、また逆も然りで好きでいてくれたり。共感してくれる人のことが頭をよぎった。その瞬間に自分が思うことを発信することはそういう人達を傷つけたり、失望させたり、嫌な思いをさせたりすることばかり考えた。その結果あまり文字を書いて主張することに対して後ろ向きになってしまった。

よく恋愛が引き合いに出されて、好きな人の前では上手く素の自分が出せない、逆にそうでも無い人の前では素が出せて魅力的に見えてその結果好意のない相手から好かれるみたいなのを聞く。結局恋愛に絡めなくても人間って言うのはそういうもんやと思う。恋人には全部さらけ出せる人もいれば、大事で一緒にいたいからこそ自分だけの問題として解決させたり、友人に相談してみたり、それが結果的に恋人を苦しめてしまったり、近しければ近しいほど無意識に無自覚に人を傷つけてしまうこともある。そういう意味で親しい人間がいないと生きていけないという反面、誰とも関わらず1人で生きていけたらいいという二律背反的な感情も芽生えてくる。

1人が1つの性格や考え方を持つわけじゃない。常に多面的で、色々な面の自分がその時のその時で表面になる。裏がありそうってのはそういうことで、意図的に表面や裏面にしてる人もいると思うけど、多くの人間がそれを意図せずにやっている。だから自分の主張も時々で変わるし、もちろんそれを受け取る人間がその主張を見る時の顔ってのは違う。もちろん共感や賛同は嬉しい。安心するし、満足出来る。でもそれは結構諸刃の剣みたいな面があって、俺のこの文章に共感しても、俺の明日の考えには真っ向から否定的な考え方を持ってるかもしれないし、時間が経てば色々なものが変わっていくのは当然で、そういう中で今嫌われる、今どうこう思われるってのは暫定的な過程でしかなくて、それが未来に繋がった時にプラスに少しでもなればいいのかなと思ったりもする。人は誰もが誰かを傷つける。無自覚に無意識に、ただ傷つけたことに気づける相手や、嫌われたことに気づける相手は自分にとって価値がある人間であるってことには間違いない。俺の事を嫌ってくれた人、傷つけた人には感謝したいし、俺のこと好いてくれる人は愛したい。生産性は無くても、思うことを言葉にすることは続けていきたいと感じる。